【Web限定】橋梁銘板・塗装記録表コレクション(9)大阪「京橋」

最終更新日:2021年1月15日

(9)京橋だけど京橋じゃない「京橋」

京の橋のようで京の橋でない(♪)
京橋にあるようで京橋にない(♪)
それは何かとたずねたら……

 9回目となる今回は「京橋」と、その周辺の橋(大坂橋・寝屋川橋・川崎橋)をご紹介します。

京橋

 名前に「京」が付いているということで、京都の橋なのかと思われるかも知れませんが、「京橋」は大阪市内にあります。

 

「京橋」は大砲に縁が

 北端は、大坂冬の陣で家康軍が大坂城に向けて大砲をぶっぱなしたこと (「太閤記」などでよく見るあのシーンです!) で知られる旧備前島、南端は旧大阪砲兵工廠(しょう)化学分析場跡ということで、戦時中に大砲を作っていた場所になります。南北いずれも大砲に縁があるという…因縁の地とでも申しましょうか。
 

旧大阪砲兵工廠跡
寝屋川から見た砲兵工廠水門跡

↑すみません、戦跡マニアなもので、思わず砲兵工廠の写真を2枚も載せてしまいました 。


 下の写真は、京橋の近くに立てられた「都島区のおもな史跡・旧跡」の説明です。

 京橋といえば、いまではJR、京阪、地下鉄などの集まる繁華街として知られていますが、その名は、大阪城の北側の寝屋川にかかる小さな橋「京橋」に由来します。
 京街道の起点にあたり、京都へと通じる橋という意味から名づけられ、その街道は徳川時代を通じて野崎まいりの人々でにぎわいました。
 この橋の誕生は豊臣秀吉の時代といわれ、徳川時代には天満橋・天神橋などとともに公儀橋として重要視され、高欄擬宝珠(ぎぼし)つきの立派な橋でした。

都島区のおもな史跡・旧跡

 とあります。

 「京橋」と言えば、京阪電車の主要駅を思い浮かべる方が多いかと思われますが、「その京橋じゃない!」とのことです。

 公儀橋というのは、江戸幕府の経費で架橋・保全が行われた、いわゆるお殿様の橋です。高欄擬宝珠(こうらんぎぼし)、すなわちネギ坊主のようなポコっとした飾りが付けられていたとのことです。


浮世絵の題材にもなった「京橋」

 ちなみに、大阪府立図書館の「おおさかeコレクション」に、江戸時代の京橋のイラスト(浮世絵)が掲載されています。

▶参考資料  「おおさかeコレクション」
 錦絵にみる大阪の風景「京橋」(浪花百景) 
(※別ウィンドウで開きます)

 説明には「北詰には川魚問屋もあり、魚を扱うありさまはたいへん賑やかであったという」とあります。 構図があまりに斬新すぎて、どんな橋だったのかさっぱり伝わらないのが、非常に惜しまれます。

 一応、川魚問屋の賑わいを“ちゃんと”描いた浮世絵が「京橋」のたもとにありましたので、ご安心ください。こういう橋だったようです。 擬宝珠も付いてます。

京橋川魚市場跡

「水辺の魅力発見ツアー」にて

 私がこの「京橋」の存在を知ったのは、10月に大阪市中央区が主催した「中央区水辺の魅力発見ツアー」に参加した時でした。 船 で中央区をめぐるというイベントに当選しまして、港町船着場から寝屋川までのさまざまな橋を、船の上から眺めました。

2020年10月当時のイベントチラシ

 ミナミで旅館を経営する美人女将(大和屋、石橋由衣さん)がゲストで来られていまして、架かるにときめき、美人女将・石さんの後ろ姿にもときめくという、「橋」に魅了される舟旅でした。

 そのイベントで、「これが京橋です」と聞いて撮った写真が以下の写真です。

ん?京橋???

 「ほ~、これが京橋か」と思って眺めていましたが、間違っていました。これは京橋の上に架かっている「大坂橋」(備前島橋梁)でした。

 見た目に派手な「大坂橋」 の下に、ひっそりと佇んでいるのが 「京橋」です。

 よくよく考えてみれば、歴史ある橋ですから、地味で当然です。さらによくよく見てみると、橋桁に控えめながらも「京橋」と書いてありました。

 ちょ、、、「橋脚基礎に注意!!」の方が目立ってるんですけど…。

 文字の大きさで言うと、「京橋」と「OP-1.10」が同じぐらいでしょうか。

次のページでは京橋の銘板を紹介!

 

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